『ゆるすということ』(ジェラルド・G・ジャンポルスキー)より、
・ゆるすことは、その人の行動に同意することでも、人を傷つける行動を肯定するのでもないということを、思い出す。「ゆるす」ことは、相手のひどい言動を肯定する(善いことと認める)わけではないのです。
・ゆるしの目的は他人を変えることではなく、心のなかでせめぎ合う否定的な思いを変えることだと思い出す。
裁くのをやめる。それだけで、幸せになれる。
「ゆるせない」のは、善悪で裁きたい(相手が悪いと認めさせたい)からなのでしょう。
また、「ゆるせない」場合、そういう相手の存在もゆるせない気もちになりがちです。
「ゆるせない」のは、相手が変わることを期待しているからではないでしょうか。相手がそのままでいいと思えるのなら、イライラしなくてすむはずです。
「ゆるす」のは、「相手のため」ではなく、「自分(の心の平和・幸せ)のため」なのです。
そして、変えるのは、相手ではなく、自分の考えということです。
ここでの「ゆるす」とは、「こういうこともある」「こんな人もいる」のような現実を受け入れる考え方をすることではないかと思います。
『そもそも〈許す〉ことは本来、
人間の仕事ではないのではないでしょうか。
〈許す〉というのは、どこか傲慢な感じがします』 五木寛之
「善悪を裁く(許す)」なんて、おこがましいことなのかもしれません。
自分にはそんな権利はない、ただ現実を受け入れればいいと考えれば、過去や相手から自由になれ、幸せになりやすくなるのではないでしょうか。
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◇『ゆるすということ』ジャンポルスキー |